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「バービーと私」

宮塚文子「バービーと私―着せ替えドレスを作り続けた半世紀」亜紀書房

バービー誕生に深く関わった著者の回顧録。

手に職を付けたらという母の一言で、事務員から洋裁へ。
既製服の仕事などの経験も積んで腕を上げ、1957年、国際貿易に入社。
帝国ホテルに滞在する若い女性デザイナーのシャーロット・ジョンソンと共に、型紙を起こし、着せてみてはほどいて、試作を重ねた1年間。
ホテルでは9時から5時までの仕事だったが、社へ戻ってその日の分をチェックし直していたそうです。
連日、終電車になるまで残業しても苦にはならなかったという。
凹凸のあるボディにピッタリ来るデザイン、大量生産しても間違いが起きにくいような型紙や縫い方など、難しそうですが、情熱を注いだ様子がありあり。
発売までは秘密を守らなければならない仕事で、社内でも孤立していたが、気にする間もなかった。
1年後にはジョンソンが帰国してしまうので、ドレス製造のチェックの責任を負わなければならないため、真剣そのものだったそうです。

アメリカのマテル社がバービー人形を作るに当たって、日本人のお針子を求めていたのですね。
1ドル360円の時代で、日本で作れば経費が安く済む。
ただ出来るだけ安くしようというのではなく、その分、品質を上げようというのが、創設者のルース・ハンドラーの意図だったそう。
当時の会社では、日本人は女性を見下すような態度の人が多かったのですが、アメリカ人の上司は皆感じがよく、共同開発のチームの一員として、大事に育ててくれたそう。
後に独立して仕事をする際に、仕事関係の人に対する態度として、当時学んだことを生かしたという。

著者の視点だけでなく、バービー誕生のいきさつがいろいろな角度から載っています。
ドールの本体作りの苦労話も。
全くやったことがない所からスタートしたので、細い脚が伸びて、左右の長さが違ってしまう。
型に流し入れる方法で解決したが、つなぎ目を工員がごしごし削る、等。

1959年3月、アメリカのトイフェアで、サンプル200ダースが公開される。それまでの人形に比べて高価なので、バイヤーには好評ではなかったが、いざアメリカ全国の店頭で次々に新しいデザインで売りに出されたら、爆発的に100万個も売れた。
日本で売る分は残らず、日本で販売されるようになったのは、1962年から。それも二級品が少量という所から始まった。
その前に、他社のタミーちゃんが売られ始めていました。

1967年に、リカちゃんが売り出されてから、バービーは売り上げが落ちてしまいます。
1971年、ドルショックでアメリカが不況になり、バービー製造はもっと安価に出来る韓国など、アジア各地に移転していくのです。
日本での販売を一度は撤退することに。
1982年にタカラから日本版バービーが売り出され、後にジェニーとなったのです。

著者は7年間国際貿易で働き、独立。
その後も、リカちゃん人形の服の受注生産など、着せ替えドレス作りに心血を注いだのですね。
初期の物や販売されなかった洋服など、持っている写真が珍しくて面白い。

初期の日本製バービーの洋服は、その縫製の良さで、今も世界のコレクターの垂涎の的だという。
著者は1932年生まれ。
平成21年、バービー50周年の祝賀パーティーにも招かれた由。
2011年4月発行。

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