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「100年前の女の子」

船曳由美「100年前の女の子」講談社

100歳になった母親テイのことを、次女が聞き書きして書いた物。
年を取ってから、しきりに子供の頃のことを話すようになったそう。

養女に出されて、ろくに世話をして貰えなかった哀しい生い立ち。
寺崎家のヤスおばあさんはしっかり者で、何でも素晴らしく良くできました。
それがやや仇となって、恐れをなしたお嫁さんが実家に帰ってしまったのですが。
農家には嫁が大事。新しく若いお嫁さんを貰うに当たって、新妻が育てるのは無理、と養女に出されたのです。
養家の扱いがひどいとわかって家に連れ戻されてからは、義理の妹キイ、ミツ、ミヨたちとも仲良く暮らし、いじめられることもなく、女学校にも行くことが出来ました。
ただし、跡取りは継母イワとの間の長子、と父が再婚する際に決められていたのです。だから、継母の実家から送られた立派なお雛様は、妹のもの。
とうとう実母とは、会うこともなかったそうです。

栃木の高松村。
群馬との県境に近く、カラッ風が吹く。
貧しいけれど~美しさもある暮らし。
関東一広いというのが自慢のみくりや(御厨)田んぼ。伊勢神宮に奉納するお米を作るため、田植えの時には着飾った早乙女たちが並んで植え、他の皆が食事の支度をして大事にしたとか。
皆で協力し合う農作業。行事などの描写にも力強さが感じられて、迫力があります。
馬は賢いととても大事にしていて、戦争で供出するときには村の男達が泣きながら見送ったとか。

家を出る身だからと、足利女学校にやって貰えることになりました。
間に合うのは早朝の電車しかなく、暗いうちから起き出して、もう一人村から行く女の子と一緒に、走って飛び乗るのです。
YMCAに就職し、当時としては自立した生き方になっていくのも魅力的。
妹たちも女学校に入って、東京に出てきてしまったというのは、やや皮肉?

結局、三女ミツが跡を取ったので、著者もその家を田舎として訪ねることが出来、ヤスおばあさんのこともよく知っているという。
昭和16年から高松村に疎開、20年にヤスおばあさんはなくなったそうです。
うちの両親や伯母達のことも思い出すような時代ですね。
こんな時期だから、長いスパンで日本の現代を振り返ってみるのもいいかも。

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コメント

わたしにも、似た境遇の叔母がいます。私に文才があれば本にしてあげたいと、話を聞くたび思う人です。
私の祖母は若くして寡婦となり、実子のうち、この叔母を亡夫の兄の家へ持参金1000円(昭和2年なので、家一軒が建つ金額)をつけて養子に出し、祖父の元に嫁いだのですが、数年後に祖母が所用で訪ねるまで、叔母の生活はまさに「レ・ミゼラブル」のコゼット。持参金をつけて、あんなに丁寧に頼んだのに、と、祖母は怒り心頭、もちろん、すぐさま叔母を連れ帰ったそうです。
この叔母の養子時代の話は、「おしん」よりひどくて、いまなら当然、児童虐待にあたります。それとカラッと話してくれる叔母は、86歳のいまでもとても元気です。若いときの体の鍛え方が違うんだよね、って、そんなのんきな話じゃないんですけどね。

しあんさん、
なんと、叔母さんが養子で酷い目に…?!
コゼット!とは…それは犯罪ですよねえ。
うちの親は時代的に生活感覚が似ていそうだけど、親戚にそういうひどい例は聞き覚えがありません。
むごいですねえ…
病気で倒れたりせずに生き延びて、ほんとに良かったです。
うちの母と同じ年頃ですね

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