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「さゆり」

アーサー・ゴールデン「さゆり」文藝春秋

アメリカ人男性の描いた~芸者が主人公の小説。
チャン・ツイィー主演でハリウッド映画にもなりました。

昭和9年に舞妓となり、波乱の運命をたどる芸妓・さゆりが貫いた一筋の真心。
漁師町の貧しい少女・千代が、何もわからずに祇園の屋形(置屋のこと)へ売られていき、同じ置屋の売れっ子の初桃らにいじめられながら下働きをする生活は鮮烈です。
初桃とはライバルに当たる豆葉というトップの芸妓に姉芸者になって貰えたことで、次第に芽が出始めますが…
岩村電器の会長に、幼い頃泣いていたときに慰められたことが、ずっと忘れられないでいるのでした。

岩村電器の社長の延に見初められ、蟹の院長に水揚げされ、戦争直前の折りから少将を旦那としながらも…
祇園も戦争ですっかり様変わり。
後にはアメリカに渡ることになります。このへんは映画では割愛されていました。

作者はニューヨーク・タイムズのオーナーという裕福な家系に生まれ、子どもの頃から日本人の知り合いがいたということです。
なるほど…それにしても雰囲気が実感こもってますねえ。宮尾登美子かなんか読んでるみたいです。
日本語に更に訳すというのも、また大変だったことでしょう。
翻訳業のおかげでこちらは自然に読めて、まるで芸者だった日本人女性が自伝を書いたような印象を受けますが…
相当取材もしているようですが、そのままの人生を送ったモデルなどはいないのですね。

さゆりという名の芸者はないだろうと抵抗感がありましたが、英語国で発音しやすい名前にしたそうです。
映画だと~ちょっと変な着付けのキッチュな衣装で、派手派手しく描かれていますが、原作は至って真面目なタッチで書かれています。
1997年の作品、1999年翻訳発行。

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コメント

初桃さんのイジメ、もう絵に描いたようにすごくて、こういうのって世界共通なのねえと思いました。その初桃さんが絶世の美人という設定がおもしろかった~ ライバルの豆葉
さんの着物を盗み出して墨を垂らすってすごい発想。
祇園のしきたりやなんかよく取材されていて水揚げのお話なんか興味深かったです。
映画、まだ見てないんですが、評判はいまいちみたいですね。音楽がフィギュアスケートで使われていました。

marieさん、
コン・リーがチャン・ツィイーをいじめるって、世界的に了解しやすいのかしら
墨を垂らすってすごいですよねえ!?
あれは誰かに聞いたんじゃないのかしら…
子どもの頃、お正月に着物を着ていて羽根突きをしたら顔に塗る墨が着物についてガックリしたことがありますけど。
あれ、落ちないんですよね…

映画、面白かったですよ!
見る甲斐はあります~。
桃井かおりに渡辺けんに役所こうじに工藤ゆうきと出てますし。
ただ日本髪が少なくて、祇園じゃない外国の日本人租界かどこかみたい。外人の考えるアジアというかゲイシャというか~ってとこがね。
こんな風に見えるのかなっていう面白さもあるけど、微妙にうなずけないところもあるのです。

あ、音楽が使われてますよね。
曲は滑らかで、ばくぜんと色っぽいし、スケートに合ってます

映画しかしらないんですー。
映画はねぇ、やはり日本人であるわたしには違和感ばかりがあって、評価する前に感覚で拒否しちゃう感じでした。
まぁねぇ、オペラの「蝶々夫人」なんて、未だに全く考証なしで、なんじゃこりゃな衣装でやってる演出も多いですからね。それよりはずっとマシですけど。
小説の方は、出版当時、割と好意的な批評が多かった記憶があります。でも、総じて外国人なのに頑張ったね的なのが多くて、内容についての評価は少なかったと思う。
しかし、原題の『Memoirs of a Geisha』って、そこまでキャッチーなタイトルにしなくても、と思うのですがね。(しかも、Memoriesじゃなくて、Memoirsだしね)
このタイトルのせいで、作品としての評価が下がっちゃうような気がするのはわたしだけでしょうか。

しあんさん、
映画はまあ「蝶々夫人」をむちゃくちゃに上演するよりはいいんじゃないかな~?

原作はかなりまじめにヒロインに寄り添っていて、丁寧に書き込まれていますよ。
少女時代のことも詳しいし、戦前の祇園とその後の変化など、面白かったです。
結末も、映画だと愛を貫いたといっても要するに妾になっただけ…?というかんじですが、だんだん独り立ちしていく展開ですし。
ただ海外文学好きよりも~日本の小説が好きな人向けかも。

「さゆり」というタイトルに抵抗があったので、まさか原題がそんなだとは読むまで思ってませんでした!そういえば、そうでしたね。
女性の一人称なので確かにメモワールって印象はないこともないですよ。ちょっと外国っぽくしたんでしょうか?

小説も未読で映画も見ていなくて、フィギュア・スケートのプログラムで見たことがあるだけなのですが、7年前(もうそんなに昔!)にオーストリアに滞在したときに、私が日本人だというので「『SAYURI』を読んだわ」と数名の外国人に話題を振られて、「私は読んだことないけど、モデルと訴訟になってたよ~(確か、モデルの一人とはオフレコのはずなのに作品にするなんて、と訴訟沙汰になってましたよね。さゆりというネーミングは日本人なら芸者じゃないだろうと感じると思うんですが、取材はかなりディープということですね)」とこたえつつ「またもや日本女性≒GEISHAですかい」と思っていたのを思い出しました。蝶々夫人やミス・サイゴンも含め、なんか白人に耐える・支えるイメージのアジア女性を語られると何だか居心地わるいんです。

> コン・リーがチャン・ツィイーをいじめるって

コン・リーはマギー・チャンに高ビーにでる映画もありましたよね。どこいってもそういうイメージなんでしょうか。

Kさん、
「SAYURI」読んだ人、けっこういたんですか~!
いや、宮尾登美子風ですよ、簡単に言うと。
ドラマチックで、貧しいけど普通の女の子が、なんだか放り込まれた世界が異常なような気もしつつ、与えられた立場で精いっぱい生きていく、という話です。
原作だと何年も稽古するのに、映画だと半年の猛特訓で、そりゃツィイーが本質的に日本舞踊じゃないからでしょうか。
戦前の話なので、今の日本とだぶらせても困るって言うか。

モデルと訴訟?
モデルは複数いて、どれも全く同じ境遇ではないのにね。どこかプライヴァシーに触れる感じだったのかしら。

「マダム・サイゴン」て最後に死ぬ必要ありますかね?
「蝶々夫人」のベトナム・バージョンだからとしか思えなくて。
SAYURIは死なないだけ良いでしょうか…?

アジアでいじめ役と言えばコン・リー?
アジアのどこにでもゲイシャがいるわけではないんだけど。
コン・リーが祇園の芸妓というより女郎っぽいのはちょっと気になるところでした

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