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「功名が辻(四)」

司馬遼太郎「功名が辻(四)」文春文庫

関ヶ原の後半、実戦に向かうあたりがまずじっくりと描かれます。
家康が万全を期して勢力を固めていく段階で、一豊は真っ先に家康への忠義を示したことでムード作りに貢献するのですね。
戦場で着実に戦うだけが取り柄の木訥な侍だったので、出世は遅れ気味の6万石で既に老兵。ですが、いつの間にかその実直な人柄が知れ渡り、外交的というほど達者ではないけれど、意外に実戦ではない面で少しずつ働き、その功績を認められるのです。
そこにはもちろん、千代の入れ知恵も…

一気に土佐24万石を与えられ藩主夫妻となりますが、それから予想外の苦労があったんですね~。
当時の四国というと都や関東からはかなり離れていて、風俗も異なり、地元で土着の半農の侍達は気が荒く、余所からいきなり来る藩主を受けつけようとしなかったのです。ゼンゼン知らなかったわ~。
長曽我部の一族を平和的に味方につけるように千代は進言しますが、自信をつけた一豊は前ほど言うことをきかず、大所帯となった城内では家老だけでも7人もいて、千代の知らない所で反対勢力を根こそぎにする策が取られます。
このあたりは千代にとっては不本意で、秀吉の妻とも似た境涯かも知れません。
後味が余り良くないのですが、この時代、平和的な解決が可能だったのか。ひょっとして戦いたがる人間は淘汰されていくのが時代の趨勢なのか…!?果たしてどうだったのでしょうか…
土佐の家臣団は七割がこの時一豊が連れてきた人間で、坂本竜馬らもその家系とか。

信長、秀吉、家康に仕えた大名は意外にも一豊ぐらいだそうです。
また正室に子がないのに側室を置かなかった大名もおそらく全国にただ一人ではないかと。そう言われると、なかなかの人物だったのかも…
山内家の跡継ぎは一豊の甥となり、拾い子は争いを避けるため寺へ修行にやっていましたが、土佐でまた千代が手元に引き取ります。
夫を看取ってすぐ髪を下ろし、後継ぎに城を明け渡して、自分は京都の屋敷に移った千代。拾い子は近くの寺で教養ある僧になったそうです。
おみごとな晩年だったと言えましょう。

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